LIFE LOG(たまごっち)

合格体験記

まえがき

 大学名を出すと身バレが怖いので、Z大学としておきます。

一応申し上げておきますが僕が受かったのはZ大学の医学部。偏差値は70前後。ここまで言ったらもう特定されますかね。

まあいいや。では、合格体験記をお楽しみください。

 

 

 高3の4月、僕は受験勉強を本格的にスタートさせました。いや、スタートせざるを得なかったという方が正しいでしょう。なぜなら進級して放り込まれたゼミクラスではまわりが東大だの九大だのと言っている中で、たったひとり僕だけがZ大志望のとんだお門違い野郎だったからです。

 主に旧帝大を志望する生徒を収容していたそのクラスはcゼミと呼ばれていましたが、そんなcゼミに入らないかとの誘いがあったのは2年次の3学期でした。

 cゼミのメンバー候補に選ばれること、ひいてはcゼミの1メンバーとしてやっていけることは、たしかに大変光栄なことです。しかしそこは東大や九大を目指す超エリートが集うクラス。Z大志望の僕には荷が重すぎやしないか。まして当時はZ大学ですらE判定しかもらえなかったような風采の上がらない男です。万が一つ、cゼミに入ったところでついていけるはずがない。そんな不安から僕はこの交渉をハナから蹴るつもりでいました。

 ところが当時の担任はそんなの杞憂だと言ってなかなか折れてくれませんでした。最終的には「A君もZ大志望だけどcゼミ入りたいって言ってる」という姑息な同調圧力作戦に打って出たのです。

 あとでわかった話なのですが、A君がZ大志望だったというのはまったくの事実無根でした。僕をcゼミに入れようと放たれた甘言だったのです。そして恥ずかしながら僕はその甘い言葉にまんまとつられ、目の前に人参を吊るされた豚さんよろしく、cゼミの門をくぐったのでした。

 

 とはいえcゼミは僕の負けん気が刺激されるのに十分すぎるほどの環境でした。進級早々、A君がZ大志望でないと分かり同朋を失ったショックからもすぐに立ち直り、隣に阪大志望、斜め前に九医志望、後ろに広医志望の戦友を携え、切磋琢磨しながら受験勉強に精を出すようになったのです。

 それからの日々はあっと言う間に過ぎてしまった気がします。友達と遊んでいたら「もうこんな時間か」と時間が一瞬にして過ぎてしまったかのような感覚に陥ることは誰もが経験したことがあると思います。4月からの日々はそれに近いものでした。

 そしてほどなくして怒涛の努力は実を結びます。4月時点では学年で50位からそこらにいたものが、8月に受けたマーク模試では待望のトップ10入り。トップ10の中には文系の人も何人かいましたから、理系の中では6位か7位くらいだったと思います。また、外部で受けたマーク模試では九医でC判定をもらえるまでに僕の学力は向上していました。

 すさまじい成長っぷりですよね。

 ところがここで僕の悪い癖が出てしまいます。慢心です。

 8月まででまだ自分というものを確立できていなかった僕は「他人より上に立つこと」を通してのみ自分は認められるものだとばかり思っていました。であるがゆえにマーク模試でトップ10入りを果たしたことは、幸か不幸か僕の中に眠っていた「優越感」、そして慢心を呼び起こしてしまったのです。

 それからの日々は怠惰このうえないものでした。週の勉強時間も40時間ほどあったものが10時間くらいまで落ち込み、4か月の間お休みしていたYouTubeでの活動も再開。次第に8時からはじまる朝自習をすっぽかす回数も多くなっていきました。

 成績には慣性の法則がはたらき、その後のマーク模試や記述模試ではそれなりにいい成績を収めていましたが、8月の模試で「人より上に立つ」という目標を達成した手前、順位や偏差値など、人と比べることを前提とする「受験勉強」というものにそれまで以上にやりがいや楽しさを見いだせなくなっていました。

 

 そんな折、出会ったのがメンタリストのDaigoさんでした。

Daigoさんと言えば数々の有名人相手に心理戦を繰り広げことごとく打ち破っていく姿が記憶に新しいと思いますが、現在の彼のおもな仕事はコンサルティング。趣味は1日10~20冊の読書、そしてそこから得た知識で僕たちが抱える人間関係の悩み、心の悩みを動画投稿サイトYouTubeniconico動画を通して解決するというものです。

 正直言って、彼がくれるアドバイスに僕は大いに救われました。1日20分の瞑想や、集中力を妨げる要因、逆にあげる方法、などなど。科学的知見に基づく彼のアドバイスはどれも目からうろこなものばかりで、かつどれも効果的なものでした。

 そしてDaigoさんの該博っぷり、生活っぷりに感心させられるうちに、さらに彼の考え方に感化されるうちに、いつしか僕は「自分磨き」に明け暮れるようになっていました。詳しくは語りませんが、将来成功するには他人に比べてどうであるかよりも自分がどうあるべきかがなにより大切だと気付かされたのです。

 以来、僕は良くも悪くもまわりの目がそれほど気にならなくなりました。これはセンター試験、および2次試験を受ける上で図らずも大きなアドバンテージとなっていました。

 また、瞑想などのメンタルトレーニングのおかげで精神状態は終始いい状態を保てていましたし、「現役で受かることで周りから認められたい」という狭く子供じみた思考癖もいつしか消えてなくなっていました。現役、浪人それぞれにメリットがあり、そのどちらに転んでも現実を受け入れられるだけの度量もいつの間にか身についていたのです。

「受かろうが落ちようがどっちでもいいや」そう考えていた僕は、ちょうどセンター試験直前から本を読み漁るようになりました。大学に受かろうが落ちようが、その先社会に呑まれずやっていくためには本を読んで知識を蓄えなければならない。「知識は身を立つるための財なり」という言葉に、そしてあのDaigoさん自身も読書家であるという事実に鑑みても「もう本を読むしかない!」と思ったのです。ペースはおよそ1週間に3冊程度(学術書籍)という控えめなものでしたが、「受験勉強」よりかは遥かに充実感があったしより生産的であるとさえ思えました。

合格が決まったときもさして嬉しいとは思いませんでした。前述の通り、大切なのは広い意味での勉強に励むことであり、大学受験はその通過点に過ぎないと考えていたからです。そういう意味では、こんなに意識が低くても受かってしまうのかという驚きのほうが大きかった気がします。

終わりに

 いい大学に入ったから将来が保証される、ということはありません。大事なのは、僕自身が受験期に気づかされたように、自分がどうあるべきかを常に考え成長を止めないことです。いい大学に受かったことで舞い上がり、成長をやめてしまう人がよくいます。が、こんな人間はいつか滅びます。いや、滅びてしまえばいいんです。

 再三述べますが、大事なのは成長をやめないことです。そしてそれは現役で受かろうが浪人しようが、どの環境にいようが、だれであろうができることだと僕は思っています。人間向上心を絶やしたらそこで終わり。肝に銘じておきたいですね。